夏侯紗別伝(3)



…例え刺し違えることになろうとも関羽を殺る。

夏侯紗の決意は固かった。

紗は曹操から託された「倚天の宝剣」を抜くと、上に向かってかざした。そして、護衛の兵に「帥」の旗を持たせ、味方の軍のまっただなかを駆けていく。そして、護衛兵にこう言わせるのだ―――

「殿は無事である!皆のもの、続け!」

効果はてきめんだった。
味方の士気はある程度は鼓舞されたのである。




味方と敵の乱戦のさなかを駆け巡っているうちに、ひとりの敵将が近づいてきた。そして、長い髯を持つその敵将は紗のすぐ近くで馬を止めた。

「曹操殿…では…ない!?おぬし、何者だ!?」

相手は一瞬、混乱しているふうであった。
紗は兜を取り、投げ捨てて、そして剣を鞘におさめるとこう言った。

「しばらくね、雲長ぉ?」

「…元譲殿の妹か」

その敵将・関羽――字・雲長――は、紗の顔を見るとようやく思い出したようであった。

「今日こそアンタを討つよ!いざ!」

その紗の言葉を合図にして、二人の戦闘は開始された。
しかし、体調が悪いのは隠せない。
紗もそのことについては百も承知であった。
さらに、これまでの戦闘による疲労も重なり、紗の体力と精神力は限界を越えようとしていた。
それにもかかわらず、この戦闘に臨んだのは何故か。

紗にはある奥の手があった。

しかし、それは賭けにも等しいものであった。


それを実行する機会に恵まれれば…。
羽は打ち合っているうちに、紗の異変にうすうす気付いていた。

…槍さばきにキレがない。

羽は打ち合ってる間にも、冷静に紗の様子を観察していた。

…コレが勇名をとどろかせたあの夏侯香壇なのか?

こんな状況を説明できる事柄はたったひとつしかなかった。

…外傷も無い。とすると…病か。

そして羽は打ち合いをやめて少し後退すると、こう言った。

「これは驚いた、曹操軍に人無し、か!このような病人を従軍させるとは!」

この言葉を聞いて紗の心は怒りに燃えた。

どくん。


見かねた遼が飛び出そうとした。
しかし、紗は遼を睨みつけて制止した。

「文遠、手ぇ出すんじゃないわよ!」

という意志表示である。
視線を羽のほうに戻す。



「ざ…」

どくん。

羽はガハハハ、と笑っている。

「ざけんじゃ…」

どっくん、どっくん。

「ん?」

ぶちっ。

「ざけんじゃないわよ、この髯面ぁ!」


次の瞬間、紗は

槍を捨て、

剣を抜き。

そして、羽の肩に一撃をくらわせていた。
まったくの不意打ちであった。

「こんなものでこの関雲長が殺されるというのか?」

羽は肩の傷口を押さえながら言った。
いたって冷静だ。

「そうね、手当てが遅かったら…ヤバいかもね」

紗が与えた傷は羽の頑強な肩を貫通するには至らなかった。
しかし、紗にはそれで十分であった。
紗はそれが曹操を…そして、全軍を救う一撃になることを確信していた。
なぜなら―――――

紗はそれを思うと、勝ち誇ったような笑みをもらした。

「おぬし、何故笑っている?」

「わからないかしら?確かに鎧で身を包んでいれば大きな傷は受けにくいでしょうね、でも…」

紗はなおも笑いつづけた。

「…体の中身まではどうかしらね?一点から…敵が崩れることも…あるものよ?」

…まさか!!!

羽は一瞬にしてその笑みの持つ意味を理解した。

「おのれええええええ!!!!」

逆上した羽は紗に向かって槍の一撃を繰り出した。
紗は観念した。

…ま、戦場に散るのは武人の本望ってやつね。

そして、目をつぶる…。
「危ねえなあ、おい」

紗への一撃は横から繰り出された戟で受けとめられていた。

「元譲殿!」

…え?元譲?

紗はおそるおそる目を開けてみると、元譲がいた。
そして、彼の戟で攻撃は防がれているのが見えた。

「まったく…文遠!コイツの面倒をしっかり見とけって言ったろ!?」

惇はそう言うと、羽の方に方向転換した。

「悪りぃ、香壇はいま調子が良くねぇ。…というわけで、俺が相手だ!かかってきな!」
しかし、羽は傷口を押さえたまま、動こうともしない。

…変だな。

惇は少しとまどった。

「…おのれ…あの女…剣に…剣に…」

羽の顔は苦痛にゆがんでいた。そして、ぽつりとこう言った。

「…医者にみせんともたんな」

惇にはこの状況になった理由が理解できなかった。

「おい、退却だ!全軍にそう伝えよ!」

羽はそう言うと、馬をかえし、退いていった。

「おい、待てよ!部下の仇はまだ取ってねえぜ!」

しかし、惇は強いて止めることはしなかった。
そして、紗のほうを振り返る。

「終わったぜ、香壇。まったく…ムチャしやがって……って、オイ!どうした!?」

振り返ると、紗は馬から落ちて、地面に倒れていた。
惇は紗の額に触れる。

「すげえ熱だ…おい、しっかりしろ、香壇!!」
「おい…文遠、見ろよ」

惇が紗の持っていた剣の先を見せながら遼に言った。


あの戦いから一時間後。
惇と遼は木陰に横たわっている紗を見守っていた。

「毒が塗ってあるぜ!…アイツも考えたもんだな」

「香壇殿は自分の病気に気付いていたのだろう」

遼がしずかに紗に視線を向ける。

「そして、このままでは足手まといになると思い、あのようなことを…そのおかげで我らは救われた」

「まったく、たいした奴だよ!…おそらくあれが関羽にとっても渾身の一撃だったんだろうな」

惇はそう言うと、ふと視線を紗からそらした。そして、こちらへ向かって近づいてくる人影に気付く。

「お、孟徳」

「殿!おケガは?」

「余は大丈夫だ。それより、香壇は?」

曹操はそう言うと、紗に視線を向けた。

「今は落ちついてる」

「そうか…そなたら、少しの間席を外してくれ」

「ああ、わかってる。…ごゆっくり!」

そう言うと、惇は遼を伴ってその場を立ち去った。
「…香壇」

曹操は紗の額をなでた。

そして、静かに語りかけた…。



…覚えておるか?余が董卓を討つべく挙兵した時のことを。

…あの時余はこう言ったな、「しかし、お前が女なのが残念だ。男であったならそなたを誘ったのに」と。

…あのことはすまないと思っている。小さい頃そなたに守ってばかりであったからな、「男としての意地」が出たのかもしれん。

…しかし、お前は家出してでも我が軍に馳せ参じて来てくれた。

…以来、余はそなたに助けられてばかりだ。

…もし、もし許されるなら…

…一度だけ、余にそなたを守らせてほしい。




その時、紗がうっすらと目を開けた。

曹操がそっとその手を握る。

紗はその手を強く握り返した。


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