「10数える間に決めろ」 一人の武装した女が同じく武装した隻眼の女に馬乗りになって見下ろしていた。 剣は隻眼の女武人ののどもとに突きつけられていた。 「降参し、私の虜となるか…それとも死か」 隻眼の女は負傷していた。 馬に乗って戦っていたのだが双方落馬し、格闘の末隻眼の女は負けたらしかった。 「この波舟、降参するぐらいなら死んだほうがましだよ!」 隻眼の女――波舟――はそう言った。 「待ってやる、10数える間に決めろ…10、9、8、7、6…」 女は波舟の言葉を無視して数え出した。 波舟はまだやる気だった。 なんとか手立てを考えていた。 …殺気をこめて敵を睨みつけるが身体の自由がきかない。 …こんなところでやられちまうのか!!へっ、情けないね…。 波舟は目を瞑った。 「5、4、3、2、1…」 女が数え終わろうとしたその時。 矢が女の頬をかすめた。 「アタシのダチに何すんのよ!」 女が気がつき、見るとそこには赤いハチマキをした女が馬に乗っていた。手には弓を持っている。…それは女のライバル・夏侯紗だった。 「香壇…お前か」 女は紗のほうを向き、そう言った。 紗は波舟のほうへ駆け寄り、彼女を馬に乗せた。 「このままじゃやられちまうよ!」 「わかってる。ひとまずは退きましょ」 紗と波舟を乗せた馬は走り出した。 「待て!!」 「はぁ、はぁっ…ここまで来れば大丈夫。味方の本隊まではもうすぐよ」 息を切らしながら紗は言った。 「ざまぁないね…。またお前さんに助けられちまったよ」 馬から降りていた波舟は項垂れた。 「戦場では味方の危機は助けなきゃね。それにアンタはアタシの姉貴みたいなもんだしさ」 紗が微笑みながら波舟に語りかける。 「年あんまり違わないじゃないのさ〜?それよりアンタが危ない目に遭ったら誰かさんが心配するよ」 「誰かさんって誰」 「それはさ…」 ―――その時! どすっ! 紗は突然音とともに馬から落ちた。 「香壇っっっ!!」 波舟は紗の字を呼んだ、そしてそばに走り寄る。 「香壇、香壇っ!!!しっかりしておくれ!!」 しかし、紗は答えない。気だるげに目を瞑ったまま冷や汗を流していた。 矢が刺さっていた。 「毒矢…!?」 呼吸を確かめる。 息をしている…死んではいないようだ。 しかし、呼吸は荒かった。 「香壇っ!死ぬなっ!お前さんが死んだら!!」 波舟の目には涙があふれていた。 「オニイになんて言えばいいんだ…」 ―――波舟が顔を上げると、物陰から一部隊が見えた。 馬上には一人の武者姿の青年が見えた。 「間に合ってよかったです。姉上のためにも、ここで死んでいただきます!」 その時、波舟は敵将をにらみつけた。 その瞳に怒りをこめて。 「よくも…よくも!!!」 そして、咄嗟に懐から刀(投擲用)を出すと、馬上の青年めがけて投げつけた。 …刀は彼の馬と彼自身の肩に当たった。 青年は馬から振り落とされた。 「…くっ!!所詮相手は手負いの者二人!やってしまえ!」 青年が命令すると、部隊は一斉に動き出した。 その時、ひゅっ ひゅっ…と音がした。 矢の飛ぶ音だ。 「突撃!!」 「弩隊、一斉射撃!」 男の怒鳴り声が聞こえる。 そして、虚をつかれた敵軍は退却していった…。 …長い夢を見ていたような気がする。 …昔の戦の記憶…アタシ、矢に射られて死にかけたんだっけ… 「覚えておるか?余が董卓を討つべく挙兵した時のことを」 …あの後誰かに抱きとめられたような… 「あの時余はこう言ったな、「しかし、お前が女なのが残念だ。男であったならそなたを誘ったのに」と」 …声…懐かしい声が聞こえる。 「あのことはすまないと思っている。小さい頃そなたに守ってばかりであったからな、「男としての意地」が出たのかもしれん。」 …そうだったの?あの時の言葉は… 「しかし、お前は家出してでも我が軍に馳せ参じて来てくれた」 …嬉しい…その言葉が聞けたでも幸せ…。 「もし、許されるなら一度だけ余にそなたを守らせてほしい」… アタシはうっすら目を開ける。 彼が手を握っていてくれている。 アタシは握り返す。 大事な人。 守るべき人。 そして…。 紗は目を覚ました。 …木陰にいる? ゆっくりと体を起こす。 そこには主君の姿があった。 「との…?」 「起きたか」 曹操は静かにそう言った。 「敵軍は?」 紗が問うと、曹操は静かにこう言った。 「去った。今は安全な場所にいる。もうすぐ救援部隊も来るはずだ」 紗はそれを聞いて深い安堵のため息をもらした。 「殿、あなたが無事でよかった…」 そして、紗は自分の周りを見回した。その時、あることに気がついた。 気を失った時には鎧を着ていたはずが今は薄絹の寝巻き姿になっているのだ。 「あの…一つ質問」 紗は戸惑いながらも曹操に聞いた。 「何だ?」 「…この服は?」 「波舟に着替えさせた。そのままだと体に悪いからな」 「ええっ!!…あ、あ、あ、ありがとう…ござい…ます…っ」 紗の顔が真っ赤になる。 曹操は微笑み、そっと紗に顔を近づけ、こう言った。 「そなたがこんなに可愛かったとはな」 そう言われ、紗は赤くなった顔をさらに赤くした。曹操はさらに言葉を続ける。 「気が強く、肌も若々しく、容貌も美しいと思っていたが…それだけではなかったか」 その言葉を聞いたのと、曹操の顔が間近にあるのとで、紗の胸の鼓動は早まった。 「そう…ですか?」 …なんか…今日の殿は何かちがう。 紗はそう感じていた。 「まったく、そなたは退くことを知らぬな」 曹操は紗に傷薬を塗っていた。 紗は体のあちこちにかすり傷を負っていた。 「そりゃ…殿の力になりたいし、殿を守りたいし」 紗はそう言った。 曹操が塗っている薬は昔、彼の親族の一人が彼に渡したものであった。体の治癒力を高め、傷の治りが早くなるという。 「そなたは昔から怪我ばかりしていた。退かずに相手がまいってしまうまで立ち向かう…そしてこうやっていつも薬を塗ってもらうのが常であった」 曹操はそこまで言うと、薬を塗る手を止めた。 「しかし、ここは戦場。時には退くことも必要だ。でなければ命がいくつあっても足りぬぞ」 曹操のこの言葉を聞き、紗は言った。 「…死ぬ覚悟がなければ殿を守れません」 曹操はそれを聞くと、憂いを含んだ顔になった。 「…何故だ」 「殿を守り、殿の力になることは配下であるアタシの役目だし、アタシの願いでもあります。戦場に身を投じている以上、この香壇、戦場の土となる覚悟は常にできております」 紗はそういうと、思いつめたような顔になった。 「そなたのような病人にかまっていたら生き残ることはできない、だから置いていけ…そう言いたいのか?」 この曹操の問いに対し、紗は小さく頷いた。 「アタシはもう殿のお役に立てないかもしれません…最後に手柄をあげることができて幸せでした…あとは…」 次の瞬間、曹操は紗の額にデコピンの一撃を食らわせた。 「――――!!」 「バカ者!」 額をおさえ、苦痛で顔を歪める紗。彼女に向かって怒鳴る曹操の目には涙が浮かんでいた。 「ずっと余を守り、安らぎとなり、支えとなってきた夏侯香壇はそなた一人しかいない!代わりなどいるはずがない!たったひとりの香壇だからこそ余は守る…そう決めた…いや、ずっと願っていた」 曹操はそう言うと、そっぽを向いた。 …守る?アタシを?そういえば手を握ってくれた時に… 紗はある素朴な疑問を抱いていた。 …ひょっとして、アタシに『ただの一配下』以上の感情を抱いているのかな?いや、まさか。だってアタシ「押しかけ配下」だもん。 …君主の親族?優秀な部下?オサナナジミ?トモダチ?…それとも… …どうであれ、想いを伝えなきゃ。今しか…。 紗の頭の中ではいろいろな疑問や考えが渦巻いていた。 「守らねばならぬ。香壇の存在が消えてしまわないように…香壇を失うのが一番嫌だ。香壇が好きだからな」 曹操は真剣な表情でこう言った。そして、少し間をおいた後、言葉を続けた。 「好きだからこそ守らねばならぬ、絶対に死なせはしない」 紗は驚いた。 まさしく自分が曹操を守る理由と同じ事を曹操も考えていたという事に。 そして、さっきの台詞の中にもっと重大な語句が含まれていることに気がついた…幼なじみでもある主君が自分を異性として意識しているということに。 「…好き…ですって?だ、だ、だ、誰をですか!?」 「だから、香壇のことをだ。第一ここには余とそなたしかいないであろう」 曹操は冷静にそう言った。紗の頬が一気に赤く染まる。 「ち…ちょっと待ってください、殿!アタシ、オテンバでおしとやかじゃないし、暴れん坊だし、…そんな…殿に寄り添う…なんて…こと…」 動揺する紗を、曹操はそっと抑えた。 「さっきうわごとで余の名を言っておったそうだな。余を失いたくない…余の存在を失うのが一番嫌だ…とな」 「え!」 「香壇、余を守り続けたのは配下としての義務からだけではないはずだ。…何となく気付いてはいた」 「あ…アタシがいつのまにそんな事を…いや、待ってください、との」 紗は手を前に出し、抑えるしぐさをする。 「…今の状況を理解する時間をください…」 それを聞くと、曹操は微笑みながら言った。 「いいだろう、いくらでも待つ。敵も来ないだろうしな」 「…体は大丈夫か?」 「ええ…大丈夫です。殿と一緒なら…平気です」 「…本当に大丈夫か?気分が悪くなったらいつでも遠慮せずに言うがよい」 『告白』からしばらくたち、紗は落ち着きを少し取り戻していた。 「おっしゃる通り…アタシ、殿の存在が失われるのが嫌だったんです」 ―――想いを伝えなければ。 紗はそう思っていた。 今伝えなければ永遠に機会が失われるかもしれないから。 「アタシ、殿のことが…ええっと、殿の…事が…」 紗は必死に想いを伝えようとしたが… …まとまった言葉にならない。 「言いたいことはわかっている」 そんな紗を曹操は優しく制した。 「余が先にそなたに対する想いを伝えたのだ。気にすることはない」 そして、曹操は紗の瞳を見た。 「そういえば二人っきりの時は『殿』でなくてもよいと前に言ったな?」 「…うん…」 紗は少しうつむいたが、まっすぐ曹操の瞳を見つめてこう言った。 「…アナタのことが……好きなのっっ!」 紗は言い終えると、力を使い果たしたように木の幹にもたれかかった。 「ずっと…一人で…やっていけると思ってた」 紗は涙目になっていた。 「女としてあなたに寄り添えなくてもあなたの力になりたいと思えば…あなたを守ることができれば…それだけで幸せだった。今あなたに想いを伝えられて…アタシ、どうしたらいいかわかんない」 曹操は泣きじゃくる紗の言葉をじっと聞いていたが… 「きゃっ!?…ち…ちょっと何を…?」 いきなり紗をそばに引き寄せ………そのまま抱きしめた。 ぽふっ…と紗の頭が曹操の肩にぶつかる。 「…ほら、こうすれば一人じゃない。こういう時はお互いの存在が確かにあることを確かめあえばいい」 曹操は紗を優しく抱きしめる。 「…アタシ…どうしちゃったんだろ…あなたにアタシの気持ちがバレちゃったり…なんか…いつしかあなたがいないとダメみたいになっちゃったり…アタシたち、いつからこうなっちゃったの?」 紗は自分の心情の変化に戸惑っていた。 …幼なじみ同士から新しい形の信頼関係へ。 それ以外にもただの主君と臣下の関係から新しい、一歩進んだ関係への変化に伴う不安も混じっていた。 「…本当にそなたは可愛いな」 そう言うと、紗の想い人は紗の顔を手で引き寄せ…そっと唇を重ねた。 「――――!!」 曹操がそっと唇を離すと、紗が赤面しながら言った。 「い…いきなりなの!?ズルイよ…」 膨れっ面をして文句を言う紗。曹操は笑いながら答える。 「こうでもしなければそなたが遠慮して口づけどころではないからな」 「‥ぶぁか」 「‥主君のことをバカバカ言うもんじゃない」 さて、と言った後、曹操は紗にとって衝撃的な発言をした。 「続きはどうする?」 紗にはその言葉の意味が瞬時に理解できた。 彼女は少し考えた後、想い人の胸に顔をうずめ、こう言った。 …抱きしめて。 エピローグへ 小説TOPへ |