費沙理伝



費沙理、字は久令。費文偉の娘で、幼名を阿蘭という。
幼い頃からおてんばであったが利発な子供であった。
声真似が得意で、彼女はそれを使って周囲の人間を驚かすのが好きだった。
長ずるにしたがって、彼女は男の声真似も修得していった。やがて彼女は変装にも興味を持つようになり、抜群の観察力とその他の才能に恵まれていたおかげで、変装術に熟達するようになっていった。


ある日の午後。

「阿蘭、今日はお客様がいらっしゃるのよ。粗相のないようにね」

阿蘭の母親が指を一本だけ立てて、口に当てる仕草をする。

「あい、か〜さま」

阿蘭も母の仕草の真似をした。

しばらくすると、馬の蹄の音が聞こえてきた。 客人の到着である。


阿蘭は別室で一人で遊んでいたが、次第に(情報が遮断されている、という状況もあって)客人の存在は彼女の好奇心を刺激していった。
そんな時。

「阿蘭、父上がお呼びですよ。父上がお前を客人に紹介したいそうですから」

「え?」

阿蘭は呼ばれた理由がわからないまま、母に連れられていった。でも、「客人」に会えるとあって、ワクワクした気持ちを抑えられなかった。

父の所に着いてみると、父と客人は酒宴の最中であった。

「おお、来たか。伯約殿、紹介しておこう。娘の阿蘭だ」

伯約と呼ばれた男は軽く頭を下げると、阿蘭のほうへかがみこんだ後に微笑み、握手を求めた。

「よろしく」

阿蘭はその柔らかい微笑みを見た瞬間、抑える事のできない胸の高鳴りを感じた。半ば緊張しながら握手して、その後しばらくポーっとした状態だった。
あの日以来、阿蘭は客人・姜伯約のことが忘れられなくなっていた。いつしか、毎日彼の事を考えるのが日課になっていった。彼の事を想えばそれだけで幸せになれるのだった。

「あちきって、ひょっとして伯約に恋しているのかなあ…?」

自問自答の日々が続いた。

そんな日々が続くうちにやがて彼女は成人し、「費沙理久令」となった。
最近、父と伯約との仲が良くないようである。
以前は度々来ていたのだが、やがて口論するようになり、ついには全く来なくなった。

費沙理はよく父に内緒で伯約の邸に遊びに行った。
伯約はいつも微笑み、中に入れてくれた。
伯約と話をし、伯約の話を聞いているうちに、伯約と父は今行っている北伐に関して意見が対立したらしいことがわかった。そして、伯約の北伐に対する真剣な感情を肌身に感じながら沙理は、

…いつもいっしょにいたい。伯約の力になりたい。

と思うようになったのである。
ある日突然、沙理はひとつの思いきった行動に出た。

男装して蜀に仕えたのである。
父を気にせずにいつでも伯約に会える方法。

沙理が考えた結果、選んだ選択だった。

沙理の変装姿は一見ひげを生やした若い文官、といった感じで、だれも沙理だとは気付かなかった。

「張康(字・武覧)」という偽名を名乗って蜀に仕官してからの沙理は内政を得意とする文官として活躍した。彼女は伯約と会うたびに、「自分は確かに恋しているのだ」という確信を強くしていくのだった。
「……文偉殿」

沙理は父に話しかけた。

「おお、武覧殿。何の用か?」

文偉は振り返って言った。

「最近、気になることを耳にいたしまして…魏から降った郭循殿のことですが」

少し沈黙した後、沙理は話を再開した。

「最近良からぬ事を考えているという噂が……その彼と、今晩開かれる酒宴に同席なさるとか。なにとぞお考え直しくださりませ」

何をばかな、と言った後、文偉は廊下を足早に去っていった。沙理は父の後姿を複雑な思いを抱きながら見送った。
ついに恐れていた事が起きたのだ。
父が郭循に刺殺された事を聞くと、父を失った悲しみと父を止められなかった自分への憎しみで、気を失いそうになった。



その後行われた会議で、父の死は当分隠されることになった。

「しかし、代理が必要だが、誰一人として文偉殿に似た者がおらぬ」

会議はなかなかまとまらなかった。その時、沙理が口を開いた。

「私は変装を得意とします。私が文偉殿の代わりをつとめましょう」


沙理の変装は味方はもちろん、敵からも気づかれることは無かった。やがて、頃合を見て父の死が公表されることになり、肩の荷をおろした沙理はある晩、伯約と二人っきりで酒を飲んでいた。

「ご苦労であった、武覧殿」

伯約が酒を沙理の杯に注いだ。
こうしていつまでも隠しているのは沙理としても辛かった。父も死し、障害は何も無い。今が絶好の機会だ。これを逃しては…

「伯約どの…いや、伯約、あちきね…ずっと隠してたことがあるの…」

「武…覧どの?」

伯約は非常に驚いたようすであった。

「二つあるの。一つは、あちきは文偉の娘。沙理よ。もう一つはね…」

沙理はそう言うと、ショックを受けた様子である伯約をよそに別室へ行き、変装を解いて戻ってきた。

「伯約が…好きってこと。」

沙理は伯約の胸に飛び込む。

「久令殿…」

伯約は沙理を抱きしめた。


その後、沙理の正体が明かされると、周囲は非常に驚いたが、内政手腕が評価されてそのままとどめ置かれた。

沙理は伯約と結婚し、やがて一子をもうけ、その子は阿寿と名付けられた。
後の姜露である。



「ええい、まだなのかっ?」

「どうか落ちつきなさいませ!」

そわそわする伯約を小間使いが止める、ということが繰り返された。
そして。

ほぎゃあ。ほぎゃあ。

産声が部屋中に響いた。



「伯約、あちき、頑張ったでしょ?ふふ。」

沙理は満足げな笑みを浮かべた。

「ああ、よくやったな。でかしたぞ」

伯約は我が子を抱いた。

「伯約、この子が大きくなるまでに天下が統一されて平和な世の中がくるといいね」

そう言いながら、沙理はふと何かを考えているような顔になった。

「…ああ。そのためにはこの蜀を根本から正してゆかねば」


蜀の戦況は日増しに不利になり、防衛のために沙理は参謀として阿寿を乳母にあずけ、前線へ出ていくようになった。
やがて時代の趨勢は魏へとかたむいてゆき、やがて蜀は滅亡した。
それでも諦めなかった伯約は成都で反乱を起こした。
しかし、それも失敗し、伯約は処刑されてしまったのだった。
生きる支えを失った沙理は悲しみに暮れていた。

「伯約ぅ…」

しばらく考え込んだ後、阿寿を抱いて沙理は言った。

「阿寿、お前には母親らしいことは何一つしてやれなかったね…あちき、疲れちゃった…」

そして、紙に何かを書きつけた後、こう言った。

「あちきはいずれ連座して処刑される身…。どうせ別れなければならないのなら敵の手で殺されるよりは…」

沙理は阿寿を残し、別室へ移った。そして引出しから何らかの粉末を取りだし、それを飲んだ。そして、静かにベッドへ横たわる。

「待っててね、伯約…。」

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