女武将関係者設定



蔡謙

字は不明。宜都郡の領主。普段は農業に従事している。
楊氏と蔡氏は宜都郡北部の覇権を争っていた。山賊(呉延と趙秀)が現れたのちに同盟を結ぶが、形ばかりのものであった。
山賊との戦いで死亡した父親のあとを継ぎ、領主となる。

霊廟で倒れていた徐錫を保護し、そのままお抱えの舞姫としてとどめ置いた。その後、楊氏との共同作戦にて山賊討伐に成功。呉延と趙秀を捕らえたが、謙は彼らと共存する道を選んだ。
錫は謙の寵愛を一身に受け、子を身ごもるが、楊氏の裏切りによる奇襲で蔡謙の勢力は壊滅、蔡謙本人も呉への逃亡途中で殺された。

楊韓

字は不明。
蔡謙の父が戦死したのは同盟関係にありながら山賊との戦いの際に静観したためだといわれている。自分の利益と保身のことしか考えない小人物。山賊討伐の手柄を横取りし、なおかつ山賊と蔡氏両方を潰すことをたくらみ、蔡氏の気の緩みを突いた奇襲を計画。見事に蔡氏を潰すことに成功した。その後宜都郡北部を完全に手に入れたが、数年後に何者かによって殺害される。楊氏の者は犯人を捜したが、手がかりすら見つけられなかった。

菊嘉(173〜239)
字は弘英。
上党北部の領主の子として生まれる。漢民族ではない。
生母は狂気を理由として離縁される。父が重い病に陥ったとき菊一族内で後継者争いが発生、妾腹の弟を支持する者がほとんどであったが、菊嘉領内の最有力者が菊嘉の父を説得したことにより菊嘉が跡継ぎになることに決定したといわれる。

15歳で跡を継ぐが董卓の侵攻にあう。兵が寝返ったのに加え、臣下が保身に動いたため、滅亡。妻(許婚)も殺されてしまい、流浪の身となる。
その後反董卓連合に参加し、さらにその後は水鏡門下となり諸葛亮・徐庶らと交流を結ぶ。
知勇兼備の名将として成長した菊嘉は赤壁の戦の後、劉備配下に加わる。以降、その忠心は死ぬまで揺らぐことはなかった。
たまたま蜀を訪れた徐錫に淡い想いを寄せていたといわれる。

香壇親衛隊

紗が産休後に戦線復帰するときに曹操の命でつけられた親衛隊。メイド・軍師・戦闘員・財政担当などのグループがあります。 一応全員兵士としての訓練(メイド含む)を受けた上で配属されます。

有力名士の子弟の社会勉強をする場としても効力を発揮。 紗没後はその子供達に引き継がれます。

隊員

☆親衛隊長(兼・紗の子供達の教育係)は司馬虞。

☆張唯は紗がムチャをしないように見張り、紗の行動を曹操様に報告する役。あと、密命も帯びているようです。

☆椿はほとんど話し相手みたいな感じ?

☆護衛として典満の娘&許チョの娘がいる。

メイドを含む全員が兵士としての訓練を受けている。

入隊時には通称みたいなのがつく。

メイド→樹木の名前
文官→宝石か草か鳥の名前
武官→花の名前


袁鳴雛

(?〜205)
字は不明。
袁紹の妹で紗の幼馴染。ライバルでもある。武術の腕前は紗に劣らない。また、学問好きでもあった。卑怯な手段を好まず、正々堂々と敵に立ち向かう主義。
幼いころから何かと紗に対抗意識を燃やした。

袁紹について反董卓連合の時から戦いに参加。連合解散後も袁紹軍の一員として戦った。
官渡では紗と一騎討ちを演じ、引き分けた。
袁紹没後は尚・譚どちらにつくか迷った末、尚につく。
しかし、そのスキを突いた曹操に攻められる。譚が殺された後、煕兄弟とともに烏丸へと逃亡し、烏丸軍とともに抗戦したが敗北。
煕・尚は遼東へ逃亡。シンガリをつとめたが、奮戦の末に戦死した。

戦場では冷静に状況を判断し、袁紹に対し的確な助言をしたが袁紹が聞き入れることはなかった。
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