姜露伝



…ずっと走っていた。…小間使いの手に導かれて。

ははうえ…

ははうえ。

どうしてあそこでねているははうえをおいていくの?

小間使いが戸棚の手紙を見つけて…それから荷物をまとめてボクの手を引いて駆け出した…そのことをおぼろげに覚えてる。

やがて大きな邸に着く…。
「…妹から話は聞いています」

蜀の皇太子であった劉文衡の妻・費氏は重々しく口を開いた。

「皮肉なものですね。我が夫を殺した反乱…。それを率いていた伯約殿の娘にして我が姪。それが今私の目の前にいる…。複雑な心境ですね」

しかし、費氏はこう思ってもいた。

この子に何の罪があろう?いま目の前にいるのは両親を失った寄る辺の無い子供でもあるのだ。

しばらく考えた後、費氏は決心した。

「わかりました。この子を引き取りましょう」

こうして阿寿(後の姜露)は費氏の養女になったのである。
阿寿は成人し、「露」という名と「藍雫」という字を与えられた。


露は狩をしながら野山を駆け巡るのが好きであった。
また、彼女は師匠について武術と乗馬を習った。
しかし、彼女の養母は彼女を普通の女の子として育てるつもりであった。自分の方針に反して養い子が成長するのを見ていつも費氏は、

「…やはり血は争えないものなのですね」

…とため息をつくのであった。
「ボク、仕官したいんだ」

露がこう言い出した時、費氏は来るべき時が来た、と思った。

「いつも父上の話を聞かされていて、ずっと思ってた。父上みたいな武将になりたいって。」

「…止めても無駄なようですね」

費氏は諦めたような表情になり、ふーっとため息をついた。

「あなたを引き取った時、あなたをお父上のような武人にはすまいと心に決めました…。武人になれば父上のような悲劇があなたの身にもおこるとも限らない、と」

そして、費氏は窓のほうを見ながら言った。

「洛陽へお行きなさい。…そこで何かが得られるでしょう。…それから…これを持ってお行き」

費氏は戸棚から何かを取り出した。それは紙切れと箱であった。

「これはあなたの父と母の肖像画…妹が…あなたの母上が持っていたものです」

費氏は紙切れを指し示しながら語った。
絵姿の中の母の姿は美しく…そして若干幼いようにも見えた。そして、父の姿は凛々しく、しかしどこか優しさも感じられた。
費氏は肖像画を露に渡し、箱を開けた。
中には鉄片にしか見えないようなものがたくさん入っていた。

「これはあなたの父が使っていた剣…。故あってこんな状態になってしまいましたが…洛陽の郊外に腕の立つ女刀匠が住んでいると聞きます。…彼女ならきっとこの剣を直せるでしょう」
旅費を準備し、旅支度を済ませた露は養母に別れを告げた。

「それでは、伯母上、お世話になりました!」

露はペコっと一礼した。
費氏は露に別れの言葉をかけた。

「…どんなことがあっても…強く生きるのですよ」


遠ざかっていく露の姿を費氏はその姿が見えなくなるまで見送った。
「うわ〜素敵な街だなあ」

露は素直に驚きを表現した。

蜀が滅び、魏皇帝が禅譲してから久しく、まだまだ戦乱は続いているというものの、洛陽の街はある程度の安定を見せていた。

露は街の人に女刀匠についての情報を聞いてみたが、何一つ有力な情報は得られなかった。
露が途方に暮れていると、一人の少女が露に話しかけてきた。

「どうしたの?おねえちゃん。こまったかおをして。あたしでよければわけをきかせて。」

露はダメモトで聞いてみた。

「この街のはずれに刀を作ってる女の人がいるって聞いたんだけど…。なにか知らない?どんな事でもいいから。」

しかし、相手からは意外な返答が返ってきた。

「あ〜、『たいけん』おばあちゃんのこと?しってるよ。あんないしてあげる〜。でもね…」
刀匠の手がかりが見つかったのはいいが、その代償として露は少女に食べ物をおごり、少女に連れられて街中を歩くハメになってしまった。

その後、ようやく少女に連れられ、刀匠のもとへ向かった。
道中、露は少女と会話を交わした。


「ボクは費藍雫っていうんだ。キミは?」

「あたし?あたしは阿鈴っていうの。ぱぱのみょうじは…わすれちゃった!」

「面白い子だなあ」

話しているうちに、二人は小さな庵の前に着いた。

「ここが『たいけん』おばあちゃんのおうち」
「…何の用だい?」

家の主である老婆がうっとうしそうに言った。

「あなたはすぐれた刀匠であると聞きます。そこで…お願いです、この剣を直してくださらないでしょうか」

露はそう言うと、持ってきた剣のカケラが入った箱を開けた。
老婆はそれをしばらく眺めた後、こう言った。

「おまえさん、何の為に剣を求めるのか?」

露はしばらく考えた後、こう言った。

「民を守り、功名をうちたて、歴史に名を残すため…かなあ」

「自分より弱きものを守る…か。敵がおまえさんに討ち取られたとしよう。その敵はおまえさんより弱かったため、討たれたのじゃ。すなわち彼奴も『弱きもの』。…違うか?結局は剣は人殺しの道具」

「ボクの守りたいものはそんなんじゃなくて…『未来』なんだ」

「ほお、それでは犠牲もやむをえないと?『未来』を守るために殺された、またはこれから殺されるであろうものの命は見過ごすのか?」

露は、うっ…と言葉につまってしまった。

「け、剣が人殺しの道具なら、何故あなたは剣を作っているのですか?」

「歴史を作っていくのは闘争だ。その歴史の歯車の一部にすぎないのさ、おまえさんもわしもな。わしはただ歯車としての役目を果たしているだけだ」

「じゃあ、剣は…全ての武器は何の為にあるの?」

「使い手が生き残るため、さ。この物騒な時代ではね」

「い…生き残るため?ただ、それだけのために?」

「そうさ。…おやおや、そんな顔をして。びびっちまったのかい?」

老婆は考え込んだ顔をした露をからかうようにそう言った。

「び…びびってなんかないもんっ!」

露が強がるのを見て老婆はそうかい、と言った後、また話し始めた。

「剣は人殺しの道具であり、また自らの分身でもあるのさ。剣自体には力なんてありゃしない、使う者の腕前と殺気と意志の強さ次第でどのようにもなる。意志が弱く、みだりに人を斬って大地を血で染めた者や慢心し『力』に溺れ、自滅した者も少なくない。それでも剣を持つというのなら…そなたは世の真理を見届ける必要があろう」

老婆はそういうと、奥の部屋へ入り、剣を三本持って戻ってきた。そのうちの一本を露に渡すと、こう言った。

「どうじゃ?わしと手合わせしてみんか?」
老婆と露は向かい合った。
互いに相手のスキをうかがう。

…この老婆、かなり「できる」。

露はそう思った。

露が最初に剣を振り上げる。老婆は両方の剣でそれを受けとめた。露はさがって間合いをとる。それが何回か続き、露が疲れを見せ始めたころ、老婆が露の剣をたたき落とした。すかさず老婆が剣を振りかざし、露の首を斬ろうとする…。


…剣は首から一寸の間隔のところで止められた。

「…これが死の恐怖。これを肝に刻んでおくがいい。」

老婆は剣を収めた。

「なかなか迷いのない太刀筋じゃったぞ。そなたなら…悟れるかもしれん。…剣は直してやる。」
「…これは昭烈皇帝が持っておられた剣じゃ。お亡くなりになる直前、諸葛孔明に託され、その後姜伯約に託された…ときいていたが…。」

老婆は元通りに直された剣を手に取りながら言った。

「この剣は王命を預かった証。すなわち一番信頼された臣下に託されたもの。おまえさんがこの剣を手にすると同時に、この剣にまつわる宿命も背負わなくてはならん。おまえさんにはそれができるか?」

「…それこそが武人…いえ、全ての臣たるものの本懐…」

露は静かに言った。

「よろしい。ならば、この剣を渡そう。だが、ひとこと言っておくことがある」

老婆はそう言うとしばらく剣を見つめた。そして、視線を露のほうに戻すとまた話しだした。

「剣を振るう時は明日の我が身だと思って振るえ。慢心してはならない。乱世では斬ることを躊躇うな。それは…己の死につながる」

そう言って、老婆は剣を露に手渡した。
帰り道。

「よかったね〜、剣を直してもらえて」

道案内をしてくれた少女は無邪気に笑いながら言った。

「じゃ、あたしをいえまでおくって!」

やがて、洛陽に着き、少女に導かれるままに歩いていった。
しかし、市街地を通り過ぎてもまだ少女は歩みを止めない。どんどんメインストリートを通っていく。
やがて少女は晋の宮城の門から少し離れたところで止まった。

「大儀であったぞ」

急に口調を変えた少女に露は非常に驚いた。

「キ…キミは一体…」

「わらわか?わらわは今上皇帝の娘、竜珠である。忍んで姿を変え、時々こうして街に遊びに出かけておるのじゃ。…そなた、非常に気に入った。わらわの側に仕えるがよい」

半ば放心状態になっている露をよそに、竜珠はこう言った。

「気にする事はない、堂々と父の姓を名乗るがよい」

露ははっとしたが、いつのまにか竜珠の姿は消えていた。


その後、露は召し出され、竜珠の護衛として晋王朝に仕えることになった。
竜珠はさまざまな者から命を狙われていた。それらの者達から露は竜珠をよく守った。
しかし、竜珠を最後に襲った『病魔』という刺客には露も太刀打ちできなかった…。

「露よ、近う寄れ」

竜珠は片手で露を招き寄せた。
そして、露をしゃがませると、耳元でささやくようにしてこう言った。

「南風と…兄上。あの夫婦を除け。宮廷を正すのじゃ」

「南風」とは賈充の娘で皇太子妃。残虐な性格として知られていて、最近ではなにか野心を秘めている、という噂があった。「兄上」とは、司馬衷(恵帝)のことである。一部では暗愚なのでは、と囁かれていたが、いまもなお、皇太子の位にあった。

伝えられたことの重大さに、露の顔は青ざめた。

「ひ…姫様?」

「よいか。頼んだぞ。」

そう言うと、竜珠は露を下がらせ、そのとき同じくそばにいた諸葛桜を呼びよせた。

竜珠は桜に最期の言葉をかけると、静かに息を引き取った。
呉討伐戦の帰り道。

「ありがとうございます。…あなたがいなければ今ごろ風土病で多数の犠牲が出ていたでしょう」

露は桜に礼を述べた。
露と桜は馬に乗っていた。

「私は自分の役目を果たしただけだ。晋の禄を食っているんだからな」

桜はいつも通りの調子でそう言った。

「それに杜預殿の言葉がなければ我が軍は呉を滅ぼせなかったでしょう。それに比べてボクなんかは…」

「ほとんどの者がそうだ。そういうお前もかなりの首級をあげたようだが…誰が一番というのではない、ひとりひとりが役割を果たしてこそ、戦の勝利というものは成り立つ」

「…『竜珠雑記』を前に見せていただいた時は驚きました」

露が話題を変えた。

「私も最初は信じられなかった。しかし、そこに書いてある自分自身についての記述が恐ろしいほどに正確であった。…あの姫君には不思議な力があるとは聞いていたが、今それを確信せざるをえないようだ。…しかし…しかし、私の中の何かが邪魔をするので肯定できないのだ!」

桜は少々ヒステリックになりながらそう言った。

「…また新たな乱世が来るのでしょうか」

露はつぶやくように言った。

「この戦の終結も…そう遠くない未来に始まる新たなる戦乱の序幕にすぎない…そんな気がして…」
「心より諫言申し上げます、陛下」

露が武帝・司馬炎の前に進み出ていった。

「毎日毎日酒宴ばかり、後宮からお外にでることはあまりないご様子。名医・諸葛陽歌殿亡き今、お体をこわしますと、とりかえしのつかないことになりますぞ」

「大丈夫じゃ、医者などこの宮廷に腐るほどおるわい」

武帝はそういってとりあわなかった。無視して行き過ぎようとしたとき、露は武帝の前を遮って跪いて言った。

「…少々、遊興と奢侈が過ぎるのではありませんか?」

武帝の眉がピクリ、と動いた。

「朕はたれぞ…?」

「統一したばかりの今こそ大事な時期です。いま基礎を固めておかねば、陛下のご子孫に害を及ぼすことになりましょう。…陛下は魏と呉の例をお忘れですか…!」

武帝はこの露の言葉に激怒し、免職しようとした。が、同じく晋に仕えていた諸葛桜の養子のとりなしのおかげで、謹慎処分で済んだ。


やがて武帝が没すると、露は謹慎を解かれた。大赦ということらしい。
その後外戚の楊駿一族が政権を握るかにみえた。しかし、皇后の賈南風がクーデターを起こし、楊駿の一族・または彼に与する者は皆殺しになってしまった。


南風が政権を掌握していた間は奢侈の風潮が濃い時期であった。それは武帝のころよりももっとひどいものであった。
さらに、跡を継いだ司馬衷(恵帝)は暗愚っぷりを発揮していた。

南風は露の武勇を恐れ、また、当時仲が悪かった愍懐太子(衷の子)と仲が良かったこともあり、何度も密かに刺客をさしむけた。しかし、露はことごとく撃退していった。

南風は愍懐太子の評判を下げる作戦に出、その後策を用いて愍懐太子を陥れ、殺害してしまった。

この一件は反・南風の者達を憤らせた。そのころ、司馬雅・許超らによる南風誅殺の計画が動きつつあった…。
そんなとき、露のもとに司馬雅たちからの使者がきた。

「あなたも賈后に疎まれているのでしょう?趙王の協力も得ています。どうです、我々の計画に加わっては?」

露は時は来たれり、と思った。今こそ竜珠の遺命を実行する好機だと。
露はこの計画に加わることを承諾した。

かくして趙王・司馬倫を盟主としたクーデターは成功し、南風は金<土庸>城に移送され、そこで毒殺された。

これで遺命の半分は実行された。
しかし、問題は残り半分である。

陛下に心を入れ替えていただけたら。

露はそんな淡い望みを抱いていた。
しかし、歴史は露の願いとは逆に進んでいく。
南風の死後、しばらくの間南風派にたいする反・南風派による復讐の嵐が巻き起こった。

司馬倫は実は彼の側近の孫秀に操られていた。
孫秀は倫に対し、絶大なる発言力を持っていた。

倫はついに帝に禅譲を迫り、帝位についた。それとともに、孫秀の権力も大きくなっていった。

しかしその後、それに反感を持った斉王・司馬冏、成都王・司馬穎、河間王・司馬顒らが挙兵した。
倫の軍勢はその軍勢の勢いに次第に押されていった。
301年四月七日。

洛陽において司馬倫に与していた左衛将軍の王輿が、突如営兵たちを率いて宮中に突入してきた。

裏切りである。

また、宮中のもの達の中にも内応するものがいたので、宮城が陥落するのにそう時間はかからなかった。このとき、孫秀ら倫の側近数人が殺された。


……全てがあっという間の出来事であった。


露は応戦したがかなわず、倫とともに囚われの身となった。


やがて位は恵帝のもとに戻り、倫たちは金<土庸>城に送られた。そして、倫は彼に破滅を与えた者達の手により殺された。

その後、露は帝の前へと引き立てられた。

「余は趙王が憎い」

帝は厳しい口調でそう言った。そして、こう続けた。

「そして、趙王に与したものどもが憎い。趙王の武力蜂起に一番貢献したのは、孫秀ともう一人…それは姜露よ、そなただ!よってそなたに死を!」

「お待ちください、陛下!」

露は泣きそうになりながら言った。

「陛下を誤らせたのは賈后です!私はただ…賈后を討って陛下に心を入れ替えていただきたかったのです…でないと…晋は…晋は…」

「黙れ!その者を斬れ!」

そう言った刹那の後、露は正面から斬られた。


露が意識を失いつつある時、ある時の竜珠の言葉が走馬灯のように浮かび上がってきた。


「のう、露よ…。兄上に帝はつとまるのかのう?」



その後露の遺体は首を切り落とされ、その首は晒された。
いったん狂い出した時の歯車は
神仙の力をもってしても止められるものではない。


…歴史とはそういうものの繰り返しである。

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