徐錫伝4


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 さらに1ヶ月が経過しました…。
この間も特にこれといったことも起こらず、彼…いえ、蔡謙様と何事もなく農作業などをして過ごしていきました。
しかしある日突然屋敷全体が騒然としていました、朝からものものしい雰囲気でした。
でも蔡謙様はいつものように農作業へと向かいました、私もそれについていきました…そしてその日の昼に屋敷早馬が飛んできたのです。
蔡謙様はその到着をまるで待っていたかのように屋敷へと飛び帰りました。

 「…援軍を約束いたしましょう、今すぐにでも兵を整えてそちらの援護に回ります。楊韓殿には奮戦し、耐えるようにとお伝えを。」
「さすがは蔡謙様、我が領主が一目置かれるだけはございます・・では失礼ながら拙者は領主に伝えねばならないので…失礼いたします。」
そういい終わるや否や、楊韓の使者はそそくさと去っていった…、どうやら今朝方から楊韓がたの領土にかの山賊の趙秀と呉延が兵を率いて一気に楊韓の館を落とそうとしていて、その援軍を蔡氏に求めたらしい。蔡謙様はその情報をかなり早期からつかんでいたらしく、さらに独自の情報網で特に今日に備えていたということでした。私には…恨みのある楊氏には助けに赴く義理もあまりないようにも思えました…。
「さて…」
蔡謙様は立ち上がり…手を振り上げながら言いました。
「今より楊氏の救援に行く!方針は前もって決めたとおりだ!!日が南に上りきる前にはここを全軍で出るぞ!!」
ははっ…という声が席を覆った、そしておのおのが準備の為に去っていき…私と蔡謙様だけが残された。私は決意を込めて言った。
「蔡謙様、私も従軍させてください。」
「…その言うやよし!ただし俺の傍を離れるな。そして無理はするな、死ぬな、これだけが命令だ。徐錫、まずは俺の準備を手伝ってくれ。時間が迫ってる。」
私は蔡謙様の準備を終えると…準備してあった鎧を身に着けて出た…。


 日が南に上りきる前に全軍2000の準備は整い、進軍を始めた。
かなりの強行軍で通常徒歩で半日以上かかる楊氏の領土まで日が沈む前にたどり着きました…戦いは続いており、人数からいっても楊氏は劣勢でした。屋敷を遠くから包囲されてしまっていたのです、それにしても多いのは山賊勢で、蔡氏勢の3〜4倍はいました。蔡謙様はいったん軍勢を止めるとこう全軍に指令を出しました。
「相手は10の力を愚かにも1づつに分けて包囲している!これに打ち勝つには我々が10の力すべてを集中させて各個撃破するのみだ!続けっ!!」
戦いの銅鑼が鳴ると一丸になって突撃を始めました、それに私も馬を飛ばして続きました…
そしてとうとう山賊勢の一隊と衝突しました、勢いのある蔡氏の勢がまずそれを蹴散らしました。
私は馬上から剣をふるい、蔡謙様は1丈はある鋒を振るって奮戦しました。
分散した山賊の勢はひとつ、またひとつと算を乱して散っていきました。そのうち、楊氏が屋敷から出てきて山賊に向かっていきました。
これでますます混乱した山賊勢は総崩れとなり、追撃を始めました…勝ちに乗じて敵を追い詰めているうちに私は蔡謙様を見失っていました…すると
「敵将、趙秀生け捕ったり!」
という声が聞こえてきました…蔡謙様の声です。
「者ども!勝どきを揚げよ!!」
オオー!という声が夜の荒野に響きました…勝った…全身の力が抜けていったその時…
「徐錫ー!徐錫は無事かぁ!!」
絶叫にも似た声が聞こえてきました、私はすぐにその声の元へと帰っていきました。


 そのまま蔡氏の軍は捕らえた趙秀をつれて、戦場から揚々と引き上げていきました。
そして帰り着き、戦勝の宴が催されて…並み居る勇将らが集うその席に趙秀が呼ばれました。
私もその席に酌をするため参加しました…なるほど趙秀は風格がある傑物と言うに相応しい容姿でした。
趙秀は蔡謙様に促されるままに席につきました、縄目などもされておらず…扱いは上座、高級の賓客を迎えるようでした…
「…趙秀殿、先ほどの無礼をお許しを。私がここの領主、蔡謙と言います。さあ、席にお着きください。」
「・・・。」
趙秀は黙って席に着き…目を閉じた。
「趙秀殿、まずは目をお開けください。これではこの間に毒を盛られても貴殿は知らないままですぞ。」
「…その必要はない…。」
趙秀は目を閉じたまま続けた
「名高い蔡謙のことだ、わざわざ自宅に呼んでそのような真似はしまい。」
声を高くして笑った…
「ははは、よくわかっておいでで。では貴殿の食台の右手の奥にある杯をお持ちくだされ、乾杯をいたしましょうぞ。」
すると趙秀をはじめ、座にいたもの全てが杯を持った…
「では…強引にお連れした趙秀殿に乾杯!」
乾杯の声が響く…趙秀もそれを依然目を瞑ったまま飲み干した…
「ふぅ…なかなかの美酒だな。で…蔡謙殿。」
「はっ、何でしょうかな?」
「貴殿の願いは何でございましょうかな?そろそろお教えくださいませ、酔う前に…。」
そうだな…と蔡謙様は言い、杯の中に残っていた酒を一気に飲み干す…私は杯の中に酒を注いだ。
「いつまでもそちら側といがみあっていても致し方ない、ここは天下万民のため、無用な争いはひとつでも多く減らすべきではありませんか。」
「・・・。」
「過去のことは全てお互いに忘れ、仲良くしようではありませんか。」
すると趙秀は両目を見開き一瞬驚いたような顔を見せて、席を立って蔡謙様の前に額づきました。
「蔡謙殿、いえ、蔡謙様っ。某は…いえ、あの山塞のもの全てがその言葉を待っておりました…。そして貴方の武勇、感服いたしました…私を生け捕った剛の者が貴方だとは…。」
意を得たり、とばかりに蔡謙様は顔をほころばせて趙秀に歩み寄り、手を取って言った。
「趙秀殿、顔をお上げください。過去のことは今流したはずですぞ。ささ、新たな友人として…一緒に飲みましょうぞ。」
趙秀はゆっくりと顔を上げた…顔は感動と緊張で極度にこわばっていたが、うれしさがにじみ出ていた。
その時、表がすこし騒がしくなった。
「表が騒がしいが何事かっ。」
「大変でございます、呉延ら山賊数名が投降を申し出て門の前に自らを縛って座っております。若旦那さま、いかがいたしましょう。」
蔡謙様は一瞬にやりとしたかとおもうとすぐさま趙秀と顔を見合わせた。
「よいぞ、通せ、通せ。全員通せ。」
「ぜ…全員は無理でございます。」
「蔡謙様、呉延と某は生死を共にと誓った仲…こたびの降伏は某を案じてのことかと…。」
趙秀は万が一のことを思って、まずは呉延だけを通すようにすすめた。蔡謙様はそれを受け入れた…そして縛られた呉延がやってきた。
呉延は趙秀が生きていてしかも上座に座っていることを見るとうれしいやらびっくりするやらで目を白黒とさせていた。
縄をほどかれ蔡謙様や趙秀の話を聞き、呉延もまた感動して友好関係を築き上げることに大いに賛成した。そして降伏してきた賊にも酒を大いに振舞い、食客らもそれにまざって大宴会が始まった。
私は一日の疲れからか、すこし意識がぼんやりしていたが酒を注いで回っていた。
そして宴もたけなわなったころ、蔡謙様が私に全員の前で踊るように言った。私は急いで着替えて舞った。いつものように蔡謙様の笛の音色に合わせて踊った、今まで蔡謙様が私に大勢の前で踊るように言ったことはなかったけれど…私は踊った。笛の音色はいつもに増して軽快で愉快だった。私もそれにあわせて嬉しさを体全体で表現した。すると…突然頭がクラリとして足がもつればたりと倒れた…。

 目覚めたら寝台の上でした…というより大声で目を覚ましました。
「…どもだぁー!!」
 どもだぁ?…何事なの…?それより…私は気を失っていたの…。
「若旦那さま、落ち着いてください。徐錫様が目を覚まされてしまうではありませんか。」
件の女中の声が聞こえる…
「いいじゃないかぁ、こんな喜ばしいことはないっ。わはははは!」
…何か蔡謙様に嬉しいことがあったらしい…こちらに近づいてくる…でも私は疲労のためか…動くことができない。
「ああ、若旦那さま。いけませんっ。」
そのうちに扉が開いた…そこには慣れ親しんだ形の影が立っていた。
「さ…蔡謙様。どうか…なさったのですか?」
私は精一杯の声で訊く、声を出す力もかなり弱っている…。
「おお、徐錫!起きたか、無理するな。寝ていろ、寝ていろ。…よくやったな、徐錫。」
「??」
僕は何が何だかわからなかった、蔡謙様は私の手をとってまた言った。
「うん、うん。よくやった。趙秀たちとも仲良くなれたし…今日はいいことづくめだ。はっはっは。」
開かれた扉からかの女中が息を切らしてやってきた。
「はぁ…はぁ…、若旦那様っ!なりませんと何度も申しておりますのに…徐錫様の体に悪うございますよ!ささ、早くお部屋から出て…静かにしてなさいっ。」
最後はまるで母親が幼子に言うような口調だった…
「そうだったな、それじゃあ仕方がないな。徐錫、無理はするなよ、休んでいろよ。」
そういい残して蔡謙様は部屋から出て行った…あとには女中と私が残された…
「ふぅ…、まったく昔から嬉しいことがあるとあんなかんじなんだから…徐錫さん、お体はどうですか?」
「はい、かなりだるいです…。何か…体がいつもより重いです、かなり昼間に暴れてしまいました。」
すると女中はまぁと声をあげてから諭すように言いました。
「…いい、徐錫さん。あなたはもうそんな無茶なことをしていられる身じゃなくなったのですよ…。」
・・・私はまだよくわからなかった。それを察した女中は顔をにっこりとさせて言った。
「おめでたですよ、徐錫さん。」
「!!」
私はショックのあまり声を失った、しかし次の瞬間、暖かい涙が瞳からとめどなく流れていた…。
「おめでとう、徐錫さん…。私もとても嬉しいですよ…若旦那さまのお子様を…早く私も見たいものです。思えばあなたがここに来たときも…。」
女中は窓から空を見た
「こうやっていたわね…。そしてから私がお粥を作りに行った…けれども、今回はもっと栄養のあるものを作らなきゃいけませんね。それと…山賊たちとも共存できるものなのでしょうね、ふふふ。」
「あ…あり…がとう…ごっ…ございま…す…。」
涙の中、私は精一杯のお礼の言葉を述べた…この後すぐ、女中はおやすみなさいと言い残して消えた。
そして泣き飽きた頃に私は眠りについた…泣いた後なのでよく眠ることができた。

 この一軒の後、山塞と蔡氏は物品の交易などを積極的に行い、文物や人の交流も盛んになり、ますます蔡氏は栄えていった。
私は私でその日から農作業などの外出などがすこし規制されて運動不足きみになった。
私の様子を案じて見舞いに来てくれる人もたくさんいた…私は本当に幸せでした。
そんな初夏のある日にふと、父がどうなっているかが気になって…手紙をしたためた。
内容は諸葛亮から錫の名をもらった事と宜都の蔡氏に世話になっていることと、そこの領主の寵愛を受けて一子をもうけていることなど父のもとを離れてから今までのことをできるだけ詰めて書いた。そして潁川の父がいる場所…私が住んでいた場所に配達してもらうように頼んだ…。父のことを忘れていて申し訳ない…と追伸をして…。
 
 翌日それは全く突然でした、私がいつもより早く眠りについたら…いきなり私をゆすり起こす声がしました。
「徐錫!徐錫っ!早く起きろ」
私は目を覚まして我が目を疑いました、屋敷が燃え、喧騒が聞こえてきたのです。それに起こしに来た蔡謙様も…雰囲気から言って尋常ではありませんでした。
「徐錫、早く逃げる準備をしろ。ほら、お前の剣だ。早く着替えるんだ!」
何も聞かずに私はただそれに従った…事態が一刻の猶予もないことがなんとなくわかっていたからです…
「…楊韓の野郎…。」
舌打ちをしながらそう言った…私は深く追求せずに急いで着替えてついていった…。
扉を開けたら屋敷は完全に炎に包まれていた…しかし何とか脱出することはできた。屋敷から出てきたところで趙秀・呉延らが馬を用意して待っていた。
「おお、蔡謙様、それに奥方様…よくぞご無事で!さあ、早く逃げましょう。こちらかわの包囲が手薄ですっ、我々の山塞へと早く行きましょう。」
「うむ、呉延殿。すまない…徐錫、俺の馬に乗れ!」
私は奥様と呼ばれてすこし恥ずかしいと思うまもなく言われるままに逃げ出した。
「しかし蔡謙様、申し訳ない。某たちが迂闊でございましたっ…楊韓に付け入る口実を与えてしまって…申し訳ないっ…。」
燃える屋敷を後ろに見て楊韓の名を聞くと怒りがこみ上げてきた・・・。
「趙秀、気にするなぁ。あいつはその程度の奴だ…俺は負けないぞ…。負けない…。」
私は蔡謙様の背中にしがみついている形になっていた…なんとなく決意に燃えた彼の目が自然と思い浮かんだ。
しかし…屋敷の中にいた人はみんなどうなったのだろうか。多くの食客…そして私の面倒をよく見てくれた女中はどうしてしまったのだろうか…、まさか…。
嫌な考えが脳裏を覆う…しかし僕はそれを必死で打ち消した。空を紅に染めながら燃え、崩れていく屋敷…大切なものが奪われた喪失感で頭の中が真っ白になった…
その時、左右の茂みから多くの伏兵が出てきた。
「逆賊蔡謙、覚悟っ!!」
無数の刃が襲い来る…そこを救ったのは趙秀・呉延であった。
その刃の一本が趙秀のわき腹をえぐった…私は思わず目を覆った…血ならもはや見慣れているはずなのに…。
「ぐふっ…呉延ーっ、しっかりと蔡謙様と奥方様をを送り届けてくれーっ!!」
その声を後ろで聞き、呉延はおう、おう。と何度も言い、振り向くことなくただ進んでいった、蔡謙様もそうだった。
無言で…追撃を必死で振り切りながら進んだ。
そのうちに矢が降り注いできた、かなり周到な伏兵である…。
そして呉延も倒れた…さらに蔡謙様も矢を足と手に受けた。
…いったい誰が攻めてきているの…?楊韓が…?何で…なんでこんなことを…。
私は怒りを忘れ…無性に悲しく…寂しくなって蔡謙様によりつよくしがみついた。
「徐錫…大丈夫、大丈夫だ…。」
 馬を走らすこと半刻、目の前に山塞があらわれた。門が見えてきた…そしてその門の上に立つ人物を見て蔡謙様は驚き…怒りの声を挙げた。
「よ…楊韓!!貴様ーっ!!」
門の上には複数の兵士に囲まれたひときわ大きな男がいた…これが…楊韓…。
「これは逆賊の蔡謙様、いかがなさいましたかな?この山塞に何かご用でもございましたかな?…まさか山賊の力を借りようとしているのではありませぬな?」
「くっ…やはり貴様かぁあ!許せぬ…許せぬぞ!!貴様の私利私欲の為に俺たちは…全てを失った!天下万民のことを考えぬ貴様のためになぁ!!」
「ふふふ、安心しろ。お前の後はしっかりと私がみてやる。何せ先ほど山賊の棟梁を二人とも討ち取ったという話も聞いた。」
「くそっ…無駄かっ、逃げるぞ!徐錫っ、しっかりつかまれ!!」
「はいっ!!」
馬首を翻して来た道を戻っていった…すると前方はすでに遮られていた。そして後方からも追っ手が迫っていた、右はそそり立つ絶壁、左は谷…。
「徐錫…。」
「はい…。」
「徐錫が…祝儀を上げる暇がなかったけど俺の妻だったら…これくらいで死ぬんじゃないぞ!」
「…はいっ!」
夫は…夫は覚悟を決めた、私ももちろん覚悟を決めた。一緒に生き延びる…生き延びさえすればいつか再起もなる…そう信じた。私はより強く夫を抱きしめた…
「苦しいよ徐錫。…行くぞ!!うわあああああああああああっ!!!」
私は夫を信じた…目を閉じ…祈った。夫の叫び声が響く…大勢が迫ってくる声が聞こえる。まだ…まだ抜けない…まだこの人の塀から…堀から抜けることができない…長く…長く感じた。でも私は夫を信じ…しがみつき続けていた。

 戦場はすでに遠ざかり、私と夫は夜の山路を歩いていた。からくも脱出できたが…馬は倒れて今では形見にたてがみが手に残るだけだった。
夫も傷だらけで立っていられるのがやっとといった感じだった…。でも歩かなければならなかった、私は夫の肩をもって進んだ。とにかく越境をしなければ追っ手がいつ来るかわかったものではない。とりあえず長江へ出て呉へ行けば大丈夫と考えてただ進んでいった。
「徐錫…、すまないな。身ごもったお前をこんな目に遭わせちまって…」
「蔡謙様…いえ、あなた…そんなことはありません、運命を共にするのも妻の役目…。」
「あなた…か、その呼ばれ方もいいな。俺はもう若旦那さま、でも領主様、でもないんだからな。…そうだ、あなた。だな、いい響きだ…。もう一度呼んでくれ。」
「はい、あなた。」
私たちは顔を見合わせて笑った…きれいな星空だった。

 歩み続けていると突然前方から3騎の騎兵が突然現れた…
「いたぞー!蔡謙とその妻ががいたぞー!!」
「生け捕れー!」
口々にそう叫びながら迫ってくる騎兵三騎…
「くっ…ここまで…ここまで張ってやがったか!」
夫はそう吐き捨てるように言うと、もうボロボロの剣を抜いて立ち向かった。私も剣を抜いて立ち向かっていった。
しかし傷つき、満足に動くことのできない夫は…槍を一度防いだら…その場に崩れた。そして次に繰り出されてきた槍は…夫の体を貫いた…。
血を吹き、その場に倒れ伏す夫…
「あ…あ…あな…た。」
私は激しい喪失感で真っ白になった…怒りに震えた…。
「蔡謙は討ち取ったぞ!」
「おお!これは大手柄だ、出世は間違いねぇ!」
「あとはもう一人だな、こっちは殺さずに連れて行こうぜ。いい手土産ができるぜ、蔡謙の妻だってよう。」
3人が私のほうを侮蔑の目で見る…
「…許せない…。」
私は夫を殺めた3人を全ての憎しみを込めて睨みつけた…
次の瞬間、僕の剣は馬上の兵士の首をかき斬っていた…胴体と首が一瞬のうちに泣き別れとなる。
あまりにも一瞬で残りの2人は同僚の死にただ呆然としていた…。
「私は…私はっ!!」
もう一人の馬に飛びつき兵士を落馬させる、そして馬蹄にかけて轢く…何度も何度も・・それは悲鳴を上げ…鈍い音をたててやがて動かなくなった。
「私は生き延びるっ!!!」
もう一人のほうを振り向く…恐怖のあまり逃げていた。私はそれを追いかける。
「逃がさない!!」
私は懐から短刀を取り出すとそれを投げつけた…すこし遠くで悲鳴と落下する音が聞こえた。
そして暗闇に静寂が訪れた…そして背後に目をやると3つの骸が転がっていた。
私はそのうちのひとつに寄って…それを抱き上げた…
「蔡謙…様、あなた…。」
既に亡き人の名をつぶやく…しかし反応はなかった。
「ううう…うわああああああっ。嫌だああああああっ、嫌だ。嫌だ、嫌だああああっ!!僕を…僕を一人にしないでええ!!わああああ!!」
月夜の中で僕は叫んだ、叫び続けた…強い喪失感が僕を襲う…
この後のことは…もう僕は覚えていない…


 気がついたら、太陽があがり・・僕の右の刀がすっかり土にまみれて折れていて…目の前に墓が立っていた。
遺体は既に無く…埋まっていると思った。
こうやって再び意識が戻っても…僕は何をするともなく…すわり続けてただただ呆然としていた…何もしないでいると自然に涙がこぼれてきた。
「うっ…」
涙を止めるものが見つからなかった…墓石にすがって泣いていた。
そして再び夜が来た…僕はまだここから動けないでいた…。そしてひとりごとのようにこう呟いた…
「ねぇ…蔡謙…、僕はどうすれば…どうすればいい?」
もちろん返事は返ってこない…筈だった…が…。
…どくん…。
「…え?」
僕の脈とはまた別の鼓動を感じた…僕の…お腹からだ…新しい命が確実に私の中にいる…。
「蔡謙…、そうだね…。蔡謙、あなたは…私の中にいたんだね…。あなた…ふふふ…。」




 前方からまた騎兵がやってきた。その数5…また捜索に出ていたのだろう。
その騎兵は自軍の亡骸を見ると恐れおののいた。そしてその前には一人の少女が細身の剣を構えて立っていた…。
その姿を確認するなりますます騎兵は恐れた…そして少女は踊るようにして飛び掛り、あっという間に5人のうち2人を屠った。
逃げ出す残り3騎…口々に化け物だ…と叫びながら…。


 少女は自分で気がつかなかったのだろうか…いや、気がつくはずが無いのだ…自らの口内を朱に染める血が誰のものであるか…
それは愛するが故の独占欲に近いものが生んだ現象…悲劇であるということを…。
彼女は一生、それには気がつかないだろう…いや、知るべきではないのだろう。
そしてこのままではその過ちを犯し続ける…歯止めが必要なのだ、彼女には…しかしそれが何なのかはわからない。

そして少女は衣服や剣のみならず体の中…骨の髄まで真っ赤に染めながら夜の闇へと消えていった…



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