成都のとある名家に一人の美しい娘があった。 その娘の美しさは花もはじらう程で、成都中の評判になっていた。また、父親もこの蜀の地でも屈指の名士で、その素晴らしき内政手腕をもって国に貢献していた。 ある日、一人の高貴な男が娘を彼の数多くの妻の一人に迎えようと、父親に娘を差し出すよう要求してきた。 父親は悩んだ。娘はぜひとも自分が選んだ信頼できる男の正妻に、と考えていたのだった。しかし、彼の妻が口を出した。 「娘を差し出すのは辛いけれど、あの方に逆らえば私達は路頭に迷うことになりましょう…」 こうして娘は男のもとへ行ったのである。 娘は男の寵愛を一身に受け、やがて女子を産んだ。 その女子は「阿玲」と名付けられた。今ここに、諸葛桜の波乱万丈の人生が産声をあげたのである。 しかし、男の妻達の中には娘が男の寵愛を受けているのを快く思わないものも少なくなかった。そこで彼女達は結託して宮廷内で一番の発言力を持つ人間に万金を積んでたのんだ。 「あの娘を破滅させてくれるように」と。 成都の宮城。 その門の前に一組の母子連れが立っていた。 「何故このような事に…。あの方からは離縁され、しかも平民の身分に…」 子供のほうは黙ったままである。 「私はともかく、父上や母上、それに阿玲には何の罪も無いのに…どうせあいつが陛下にあることないこと吹きこんだのだろう」 また歩き出す。 子供が言った。 「ははうえ、つかれたよぉ。はやくおうちにかえろ?」 「阿玲……!」 涙があふれそうになる。 母親は思った。いつかこの子がこの城を再び見る日が来るのだろうか、と。 「阿玲や、阿玲や」 母親は子供の頬にそっと触れながら言った。 「お前がいつかこの母の無念を晴らしてくれたら……」 貧民街の中で阿玲はスクスクと成長していった。 阿玲は利口だが、感情を表に出さない子供であった。 いったん読んだ本の内容は決して忘れず、兵法・医学の知識を深めていった。 いつしか父が母を捨てたいきさつも知るようになった。 それからさらに月日がたち… 一人の男が阿玲を訪ねてきた。 「あなたですか、阿玲というのは?」 阿玲は火薬玉を作っている手を止めた。阿玲はその知略により、貧民街で頭角をあらわしてゆき、今では成都でその名を知らぬ者は無い程だった。 「そうだが、お前は誰だ?なにか用か?」 男はそれには答えず、いくつか科学と兵法に関する質問をした。阿玲が迅速に、しかも的確に答えていくのを見て驚いている様子を見せた。 …なかなか面白い子だ。 そう思い、男はふとあることに気付いた。 (あの方に生き写しだ。この子はもしかすると…) しかし、阿玲の前では口には出さなかった。 「噂通りだ、気に入った。私が引き取ろう。」 これが諸葛桜と諸葛亮孔明との出会いであった。 阿玲は諸葛亮のもとで成人し、「桜」という名と「陽歌」という字が与えられた。諸葛亮からは兵法の手ほどきを受けた。 彼女は医学にも興味を示し、習得した医術で成都の人々の病を治していった。しかし、代金は受け取らなかった。人々が理由を聞くと、決まってこう答えるのだった、 「これは私の計画のための小さな歩みにすぎないからだ」と。 しかし、人々が彼女の計画について知ることはなかった。 「諸葛亮が没した」という知らせを受けたとき、桜は窓を見ながらつぶやいた。 「おじさまがいなければ、私の未来はもう決まったようなものだった…」 そして、ベッドに腰掛け、一粒の涙をながす。 床に目を落としたとき、一冊の本がベッドの下に落ちているのが目に入った。 ページをめくってみると、それは諸葛亮の字で書かれていて、薬草・兵器などに関する覚書のようだった。さらにページをめくると、とある記述に桜の目は釘付けになった。それは、ある毒薬の調合法についての記事だった。 「これで我が望みは満たされる…」 桜は一瞬、悪魔にも似た笑みを浮かべた。 その後、彼女は招聘を受け、蜀に仕官した。 蜀に仕官してからの諸葛桜は、情報戦を得意とする知将として名声を上げていった。皇帝・劉禅への諫言も数回に及んだ。彼女は姜維の北伐には反対であった。彼女自身、平民階級の出身だったので、民の気持ちはある程度理解していたし、民の実情には、自ら農村や町に出向いて調査したほどであった。 北伐をめぐって、姜維としばしば口論した。 「戦争をすればよいというものではない。民の怨嗟の声を聞かずに戦争を続ければ、民は国から逃げ出し、蓄えは無くなり、やがて自滅するであろうことは自明の理だ」 これに対し、姜維がやり返す。 「このまま待っておれば、いずれ我が国は魏に滅ぼされてしまう!貴方のほうこそそれが分からぬのか!」 「お願い、もうやめて、二人とも!!仲間割れしてたら国を支える事はできないのよ!」 見るに見かねた費沙理が止めに入った。 彼女は有能な政治家であり、姜維の妻である。 「止めるな、久令!」 桜は鋭い口調で言った。 「まあ、奴はいずれ破滅する。私はそれを見届けてやろうではないか」 くくく…と笑いながら桜はその場を離れた。 廊下で一人の人物にばったり出くわした。 …黄皓か。嫌な奴に会ったな。 無視して通りすぎようとすると、相手の方から先に声をかけてきた。 「ご機嫌如何ですか、陽歌殿?」 「なにか用か?こっちは暇じゃないんだからな」 「さっき伯約殿と何か口論されてましたな?」 「お前には関係無い。用件があるならさっさと言ったらどうだ?どうせろくな事ではあるまい」 「単刀直入に申し上げます。……官を去っていただきたい」 桜の眉がピクリ、と動いた。 「お前如きの言うことを聞くとでも?」 「おやおや、せっかく機会をさしあげた、というのに」 黄皓はそう言うと、甲高い声でヒーヒッヒ…と笑った。 「…なんの機会だ?」 「これでもいろいろあるものでしてね、私はなんとしてでも貴方をここから消さねばならんのですよ。そのためにはどんな事でもやりますよ、……たとえ貴方の評判を地におとしたとしてもネ」 …きっと袖の下をもらったのだろう。 桜はそう思った。 「貴方がジャマだ、という者はいくらでもいるのですよ、それに『あの方』の命を狙っている、という噂も…」 「……その名は言うな!」 桜は鋭く制止した。その口調は憎しみを含んでいた。 「おやおや、失礼…」 黄皓は身を翻し、言った。 「まあ、せいぜい身の振り方でも考えておくことですな」 その後、諸葛桜は官職を剥奪された。 彼女は野に降った。 蜀は滅び、劉禅は「安楽公」となった。 やがて時は移り、晋の時代へ…。 諸葛桜は「三顧の礼」を受け、晋に仕えることとなった。 劉禅はここ数年、体調を崩していた。医師として派遣されていた諸葛桜は治療を試みたが、劉禅の容態は悪化する一方だった。 「…危篤状態だな」 桜は自分の患者を冷静な目で見つめていた。 「他の方は部屋の外へ出ていてください」 …何故? 疑問に思う人々を無理やり別室へ移動させると、 桜は戸を閉めた。 「おや、意識がもどったみたいだな。凄い凄い」 わざとらしく拍手する。 「どのみちもうダメでしょうから、冥土の土産に聞かせてあげましょう。」 クク…と笑い出すと、桜は先を続けた。 「…世の中には病気に似た症状が現れる毒薬が存在するようです。それは最初は風邪に似た症状ですが、しだいに咳と喀血がひどくなり、普通の医師なら結核と誤解する。ようやく気付いたときには手遅れ、というわけですよ」 「そ…そなた、どう…いうつもりだ!?」 劉禅ははっとして気付いた。 「そなた…ま…まさか…」 しかし、その言葉を言い終わること無く、劉禅は息絶えた。 桜は一息ついた後、次のように言った。顔には安堵の表情を浮かべていた。 「母上、これで劉桜も死にました。」 企画TOPへ |